巣々木尋亀 自伝

〜50歳からの読書禄・その他〜

尾崎翠(ちくま日本文学)

 私は現在月に一冊のペースで文庫版の日本文学全集「ちくま日本文学」の読破を目指しているところだが、ここで選ばれた40人の作家のうち読んだことのない作家は多いが、全く名前を聞いたことも無かったのは、この尾崎翠だけではないかとおもう。

 その作家に対する何の知識もなく作品を読むというのはなかなかスリリングなもので、そういう経験ができるのもこのようなすこし面倒くさい挑戦の醍醐味だと思っている。

尾崎翠 (ちくま日本文学 4)

尾崎翠 (ちくま日本文学 4)

  • 作者:尾崎 翠
  • 発売日: 2007/11/20
  • メディア: 文庫
 

  改めて考えてみると私たちは普段、例えばある文章に対し純粋にそれのみと向き合っているかというとそんなことはなく、ほとんどの場合その文章が何時、誰によって書かれ、どのような評価がなされているか、などの前提に基づいて接しているのではないだろうか。

 それはなにも著名な作家の作品に限ったことではなく、たとえば友人からのメール、仕事上のメール、友人のツイート、あるいは見知らぬ人のツイートがリツートされたもの、炎上した発言、など日常的に接するさまざまな言葉に対してもそうだ。そう考えると、それはなにも言葉に限った問題ではなく、私達は日々目の前にあらわれる様々な事象にたいして、無意識にそういう選別を行っているのだといえるかもしれない。

 

 なんだかとりとめもない話になってしまったがすこし強引に結びつけると、この尾崎翠という作家の文章にもすこしそういう掴みどころのないような雰囲気があったので、今回はこの雰囲気のまま進めてゆきたい。

 今回この尾崎翠を読んでいるときにその文章の雰囲気から、稲垣足穂宮沢賢治、そして最近の作家だが森見登美彦という作家の名前を連想した。

 気になったので生まれ年を調べてみると、尾崎(明治29年)宮沢(明治29年)稲垣(明治33年)森見(昭和54年)で、(当たり前だが)森見以外は年齢もかなり近いことがわかった。宮沢賢治の科学的な連想や、稲垣足穂の空想的な世界観にどこか似た雰囲気を感じたのは、なにか時代的な雰囲気や流行があったのではないだろうか。そんなことを考える。

 

 森見以外の三人が活躍を始めた大正時代というのは、とても文化水準が高かったという印象がある。二度の戦争に勝利し、アジアで先陣を切って欧米と肩を並べるまでになった。欧米の最先端の流行も輸入され生活も変ってゆく。その後に大変な困難に見舞われるなどとは露ほども知らず、当時の人々は明るく希望に満ちたも未来に疑いを抱いてなかったのではないだろうか。

 以前読んだ近藤富江著「本郷菊富士ホテル」という本は、大正から昭和初期にかけて本郷にあった菊富士ホテルに宿泊していた文化人や外国人客のエピソードを紹介している。その宿泊客には竹久夢二坂口安吾谷崎潤一郎三木清大杉栄などの名前がみられた。本郷の菊富士ホテル、つまりは今の文京区やその周辺は、その後の日本文化に大きな足跡を残すような人々が、そうとは知らずに何度も何度もすれ違っていたそんな場所だったのだ。そしてこの尾崎翠もその中の一人だった可能性は高い。

本郷菊富士ホテル (中公文庫 (こ21-1))

本郷菊富士ホテル (中公文庫 (こ21-1))

  • 作者:近藤 富枝
  • 発売日: 1983/04/10
  • メディア: 文庫
 

  大正ロマンといわれるその時代は、人類がロマンチックでいることのできた最後の時代だったのかもしれない。すこし突拍子もない例えだが、この時代の人はまだ火星にタコのような火星人がいると、結構真面目に信じることがでたのではないだろうか。

 世界大戦、ベトナム戦争、バブル、オウム、震災、テロ、ウイルス。

 NASAから送られてきた火星の写真を見慣れてしまった私達は、夜空の星を見上げてタコのような宇宙人を空想するには、すこし現実的になり過ぎてしまっているかもしれない。

 さきほど森見登美彦の名前を上げたが、恐らくはこの人もあのロマンチックな時代に対する、憧れを抱いている人なのではないかと思う。そしてこんな現代においてさえ、今尚”ロマンチックで居続ける才能”をもった稀有な人なのではないだろうか。もっとも私はこの作家の代表作である「夜は短し歩けよ乙女」しか読んでいないので、このような連想はあるいはまったく的外れなのかもしれない。

 ただ今回は、敢えて間違うことの自由を行使したい。私はこの尾崎翠という作家に、そんな事実を知ってしまった瞬間に永遠に失われてしまう、自由の儚さのようなものを感じたのである。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)